Ugly Works

ダサさは欠陥じゃない
May 22, 2026

すでに完成している店

一般的に『ダサい』とカテゴライズされがちな、昔ながらの安くてうまい人気の定食屋は、デザイン的にそれで完成されているように思います。へんに手を加える必要なんてない、と。

私はメキシカンフィッシャーメンの話が好きで、よくこの話を持ち出します。
あるアメリカ人のビジネスマンが、メキシコの小さな漁村で、昼過ぎには仕事を終えてのんびりしている漁師に出会います。「もっと長く働けば、もっと魚が獲れるのに」とビジネスマンは言います。魚が増えれば船を増やせる、会社にできる、いずれは大きなビジネスになる。そうすれば早期リタイアして、好きな時間に起きて、家族と過ごして、釣りをして、昼寝をして、友人とお酒を飲んで暮らせる——と。それを聞いた漁師はこう答えます。
「それ、今やってることと何が違うの?」

この話を聞くたびに思います。

『もっと』は、本当に必要なんだろうか、と。

デザインの現場でも、同じようなことが起きています。もっと洗練できる。もっと効率化できる。もっと売上を伸ばせる。もっと店舗を増やせる。

でも、その“もっと”を追い続けた先にあるものが、本当にその人の望んでいる状態なのかは、意外とそこまで見られていないことが多いです。

デザインされた定食屋

もしも、あの昔ながらの安くてうまい定食屋が、『デザイナー』と名乗る者の手によって、無機質で簡素に『デザイン』された空間になって、値段が1.5倍くらいになったら……私はちょっと嫌です(笑)

メニューが減って、オペレーションはしやすくなるかもしれない。
単価が上がり、常連客は去っても、SNS効果で客数は2倍に増え、売上は3倍になるかもしれない。
結果、忙しくなって、バイトをたくさん雇うことになるかもしれない。店主はお客さんと会話する余裕をなくし、裏でシフトを調整したり、慣れない事務作業に追われるようになる。好きだったキッチンに立ちながら、常連と目を合わせて挨拶することすら、少なくなっていくのかもしれない……。

デザイナーという立場で、メニューや店内を『洗練』させて、シュッとかっこよくすることを期待される職業である私がこんなことを言うのは、期待はずれかもしれません。でも、ダサい店でも需要があればそれでいい。むしろ、その方がいい場合もあるのだと思っています。

ダサさは欠陥じゃない

手書きのメニューや、壁に統一感ゼロで貼られまくる新商品の案内。サイズの違う寄せ集めのテーブルや椅子が雑多に配置されていたり、どこぞのお土産品が無造作に置かれていたり、どこかで見たことのあるような100均のコンテナーにカトラリーが入っていたり。そういう、誰かの家に来たような個人事業のお店が、私は嫌いじゃありません。むしろ好きです。デザイナー目線からするとツッコミどころはたくさんありますが、それも含めて愛らしいというか、別にそこを完璧に整えることが目的じゃない感じが、私は好きです。

東京やロサンゼルスに住んでいた頃は、いわゆるおしゃれなお店に日常的に通っていました。細部まで丁寧に設計され、空間もサービスも含めて感動するようなお店にも、たくさん出会ってきました。そうしたお店には、その空間ならではの価値があると思っています。ただその一方で、見た目のインパクトだけに強くこだわるあまり、中身とのバランスが少しズレてしまっているように感じる場所があるのも事実です。

暮らし方や健康への意識が変わるにつれて、私自身、「見た目の良さ」にもいろいろな種類があるのだと感じるようになりました。

デザインには、何かを良くする力があります。でも同時に、すでにそこにある価値を見えなくしてしまうこともある。だから私は、「洗練させる」ことよりも先に、「すでにそこに何が成立しているのか」を考えるようになりました。

ダサさは、単純な欠陥ではないのだと思います。
そこに安心感を覚える人も、きっといる。
それは、別の最適化の結果として、すでに完成しているかたちなのかもしれません。